伝説の終わり 〜モーリー・ブッシュの想い出に捧ぐ〜 |
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懐かしいウェンディからのクリスマスメールには、いつものように彼女とその家族の近況が綴られていた。そして、その中の1行はこう言っていた。
「今朝、モーリー・ブッシュがブラウンスネイクに殺されたそうです。伝説の終わりね」。 私は返事にこう書いた。 「モーリーのことはとっても残念。でも、彼女らしい最後だった思います。願わくば、彼女の行った先にオヤツにするのに充分なワラビーがいますように」。 そう、確かに残念だったけれど、それでその件は心の中のしかるべき場所に納まるはずだった。でも、なぜだろう。クリスマスイブの晩、気がつくと私はずっとモーリーのことを考えていたのだ。 モーリーは、ブルテリアミックス。その生涯のほとんどを、オーストラリアの山の農場で、ご主人一家と犬仲間たちと過ごしたメス犬だった。私は彼女にたった2回しか会ったことがない。とりわけ仲良くなったわけでもない。でも、遠く離れた東京で、その死が私の胸に不思議な感慨を呼び起こす。そんな彼女の想い出を綴ってみようと思う。 |
豚殺しのモーリー
モーリーがどういう経緯でスコットの元にやって来たのかは知らない。私たちが彼らの農場を初めて訪れた1997年、彼女はすでにそこにいて、スコットの自慢の種になっていた。天使のような巻き毛と童顔を持ち、口数の少ない恥ずかしがり屋、そして悪魔のように狩猟好きなスコットが、ブルテリア・ミックスの彼女に惚れ込んでいたのは誰の目にも明らかだった。
けれど、スコットが自慢にしているのは、モーリーの泳ぎではない。有り体にいえば、殺しだ。
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夜遊び
私の友人ウェンディの娘ルーと、その夫スコットが、シドニーから3時間ほどのこの地に居を構えたのは1996年頃のこと。それまでルーとスコットは、サメを捕ったり野生の豚を狩りながら、5匹の愛犬たちとともにトレーラーハウスでオーストラリア中を旅してきたという。ウェンディいわく「クロコダイルダンディみたい」な旅の終点としてふたりが選んだのが、小さな山の頂上に建つコテージとそれを取り巻く広大な土地だった。彼らはここで農場を始めようと考えたのだ。 ルーとスコットはどちらも農家の生まれでも、農業の知識や経験があるわけでもない。一目惚れしたというそのコテージも、農家として作られたものではなく、もともと医者の別荘だったそうだ。それでも、ひとたび気に入ったら躊躇なく周辺の土地ごと手に入れて、新生活を始めてしまう。それがオージー流なのかもしれないが、とにかく翌年私たちが始めて訪れた時には、すでにヤギの群れや豚、馬もいて、農場らしい姿になっていた。
私たち…当時シドニーに住んでいたウェンディと、私の相棒であるカメラマンのTさん、そして休暇を利用して合流した私の妹…が訪れたその晩、スコットは彼の写真を披露してくれた。写っていたのは、彼が海山で仕留めた獲物の数々…巨大なカジキ、恐ろしげなサメ、それに野生の豚。カンガルーやクロコダイルもいたと思う。ウェンディはちょっぴり皮肉っぽく「死んだ動物の写真ばかりね」と評していたけれど、スコットなりに私たち客人を歓待しているのだと思うと、1枚ごとに、それらしい質問や賞賛のため息を返さないわけにはいかない。ちょうど真冬のこと。暖炉の前の床に並べられた無数の写真を囲み、話は農場の経営のことに移って行った。ルーとスコットは、敷地内の巨大な納屋を宿泊施設に改造し、日本からもお客を呼びたいと考えていたのだ。旅の疲れから発熱していた私は半分眠りながら、妹とTさんが何やらアドヴァイスしているのを聞いていた。
夜半、それぞれが寝床に引き取ろうとしていた時だった。モーリーが帰って来たのは。勝手口から現れた彼女は、ちょうどキッチンにいた妹によれば「すみませんねぇ」と言わんばかりに申し訳なさそうな顔で入って来たという。そして、その直後に私が見たその顔は、なぜか赤らんでいた。まさか犬が赤面するとは私も思わなかったが、その時、スコットがこう叱るのを聞いて唖然とせずにはいられなかった。
モーリーが野豚を殺すのは、スコットを喜ばせるためかもしれない。けれど、彼女の身体には捕食動物の血が今も熱く脈打っているのだ。ただ追うのではない。捕まえて、殺して、皮を引き裂き、肉を引きちぎり、内臓に鼻面をつっこんで、食べる…いや、貪る。良いとか悪いとか、楽しいとかおもしろいとか、そんな感情を超えて、どうしてもそうせずにはいられない。夜の帳が降りる頃、そのたくましい身体の奥底の本能が目覚めて、若夫婦の気の良い愛犬を森へと駆り立てるのだ。
次にTさんと私が農場を訪れた時、それから4年も経っていた。 |
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