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伝説の終わり
〜モーリー・ブッシュの想い出に捧ぐ〜
 懐かしいウェンディからのクリスマスメールには、いつものように彼女とその家族の近況が綴られていた。そして、その中の1行はこう言っていた。
「今朝、モーリー・ブッシュがブラウンスネイクに殺されたそうです。伝説の終わりね」。
 私は返事にこう書いた。
「モーリーのことはとっても残念。でも、彼女らしい最後だった思います。願わくば、彼女の行った先にオヤツにするのに充分なワラビーがいますように」。
 そう、確かに残念だったけれど、それでその件は心の中のしかるべき場所に納まるはずだった。でも、なぜだろう。クリスマスイブの晩、気がつくと私はずっとモーリーのことを考えていたのだ。
 モーリーは、ブルテリアミックス。その生涯のほとんどを、オーストラリアの山の農場で、ご主人一家と犬仲間たちと過ごしたメス犬だった。私は彼女にたった2回しか会ったことがない。とりわけ仲良くなったわけでもない。でも、遠く離れた東京で、その死が私の胸に不思議な感慨を呼び起こす。そんな彼女の想い出を綴ってみようと思う。
豚殺しのモーリー

 モーリーがどういう経緯でスコットの元にやって来たのかは知らない。私たちが彼らの農場を初めて訪れた1997年、彼女はすでにそこにいて、スコットの自慢の種になっていた。天使のような巻き毛と童顔を持ち、口数の少ない恥ずかしがり屋、そして悪魔のように狩猟好きなスコットが、ブルテリア・ミックスの彼女に惚れ込んでいたのは誰の目にも明らかだった。
 モーリーはと言えば、まるで彼のコマンドが自然現象の一部と思っているかのように、どんな命令にも全力で取り組むのだった。春がくれば花が咲く。雨が降れば濡れる。そして、スコットが望めばモーリーは何度でも池に飛び込む。何度でも何度でも、全身全霊で、あまり魅力的とは言えない小枝を、小さな溜め池から拾い上げてくるのだ。がっちりと重みのある胴体で派手な水しぶきを立てて飛び込み、あまり器用とは言えないが、しかし確実な泳ぎで、その巨大なアゴに大切そうに小枝をくわえて。

 けれど、スコットが自慢にしているのは、モーリーの泳ぎではない。有り体にいえば、殺しだ。
 スコットは、さまざまなハンティングが大好きだが、その合間に、ときおり野生の豚狩りを請け負うことがある。逆算すると当時2歳になるかならないモーリーは、その相棒だったのだ。豚といっても彼らの狩るそれは、恐ろしく大きなキバとそれに見合った体躯を持つ、どう猛な連中だという。炎のような闘志…いやおそらく殺意をもって豚たちと闘ってきたモーリーの体には、だからいくつもの名誉の負傷の跡がある。あるときなど、腸がはみ出すほどの深手を負い、スコットが自分で彼女の体に腸を押し戻し、傷を縫い合わせた…そんな話をスコットは、誇らしげに語っていたのだ。

夜遊び

 私の友人ウェンディの娘ルーと、その夫スコットが、シドニーから3時間ほどのこの地に居を構えたのは1996年頃のこと。それまでルーとスコットは、サメを捕ったり野生の豚を狩りながら、5匹の愛犬たちとともにトレーラーハウスでオーストラリア中を旅してきたという。ウェンディいわく「クロコダイルダンディみたい」な旅の終点としてふたりが選んだのが、小さな山の頂上に建つコテージとそれを取り巻く広大な土地だった。彼らはここで農場を始めようと考えたのだ。

 ルーとスコットはどちらも農家の生まれでも、農業の知識や経験があるわけでもない。一目惚れしたというそのコテージも、農家として作られたものではなく、もともと医者の別荘だったそうだ。それでも、ひとたび気に入ったら躊躇なく周辺の土地ごと手に入れて、新生活を始めてしまう。それがオージー流なのかもしれないが、とにかく翌年私たちが始めて訪れた時には、すでにヤギの群れや豚、馬もいて、農場らしい姿になっていた。
 ゼロからのスタートは、エキサイティングでスリリングで、もちろん苦労も大いにあっただろう。そんなふたりの傍らで、モーリーたち5匹の愛犬もまた、農場づくりを支えてきたに違いない。実際、2匹のケルピーはヤギ追いの仕事を覚え始めていたし、モーリーとスコットの野豚狩りは手っ取り早い現金収入になっていた。

 私たち…当時シドニーに住んでいたウェンディと、私の相棒であるカメラマンのTさん、そして休暇を利用して合流した私の妹…が訪れたその晩、スコットは彼の写真を披露してくれた。写っていたのは、彼が海山で仕留めた獲物の数々…巨大なカジキ、恐ろしげなサメ、それに野生の豚。カンガルーやクロコダイルもいたと思う。ウェンディはちょっぴり皮肉っぽく「死んだ動物の写真ばかりね」と評していたけれど、スコットなりに私たち客人を歓待しているのだと思うと、1枚ごとに、それらしい質問や賞賛のため息を返さないわけにはいかない。ちょうど真冬のこと。暖炉の前の床に並べられた無数の写真を囲み、話は農場の経営のことに移って行った。ルーとスコットは、敷地内の巨大な納屋を宿泊施設に改造し、日本からもお客を呼びたいと考えていたのだ。旅の疲れから発熱していた私は半分眠りながら、妹とTさんが何やらアドヴァイスしているのを聞いていた。
 凍てつく冬の山の中、暖炉の炎で照らされた心地よい暗さの部屋に、聞きなれた声が静かに混ざりあう。そうして夜が更けてゆくなか、数頭いた犬たちのうち、モーリーだけが帰ってこなかった。

 夜半、それぞれが寝床に引き取ろうとしていた時だった。モーリーが帰って来たのは。勝手口から現れた彼女は、ちょうどキッチンにいた妹によれば「すみませんねぇ」と言わんばかりに申し訳なさそうな顔で入って来たという。そして、その直後に私が見たその顔は、なぜか赤らんでいた。まさか犬が赤面するとは私も思わなかったが、その時、スコットがこう叱るのを聞いて唖然とせずにはいられなかった。
 「ワラビーを食べて来たな。悪い子だ!」と。
 妹の記憶では「そういえば、あの時、キッチンが血なまぐさかった」という。そう。豚殺しのモーリーは、夜の森にひとり出かけて、ワラビー狩りに興じていたのだ。彼女の顔を赤く染めていたのは、ワラビーの鮮血だったのだ。

 モーリーが野豚を殺すのは、スコットを喜ばせるためかもしれない。けれど、彼女の身体には捕食動物の血が今も熱く脈打っているのだ。ただ追うのではない。捕まえて、殺して、皮を引き裂き、肉を引きちぎり、内臓に鼻面をつっこんで、食べる…いや、貪る。良いとか悪いとか、楽しいとかおもしろいとか、そんな感情を超えて、どうしてもそうせずにはいられない。夜の帳が降りる頃、そのたくましい身体の奥底の本能が目覚めて、若夫婦の気の良い愛犬を森へと駆り立てるのだ。
 その一件は日本から来た私たちに強烈な印象を残したが、誰もそれでモーリーを恐ろしいと思ったわけでも、嫌いになったわけでもない。むしろ愉快な逸話として、いまだに口の端に上るくらいだ。ただ、私には、モーリーが豚を殺したりワラビーを狩る情動と同じ激しさで、スコットを愛しているのだろうと思うと、その不器用な心がどこか切なく、ほんの少し痛々しくも見えた。いや、本当に痛々しいのは野豚やワラビーたちなのだけど。翌朝、ガニまた気味の足取りで機嫌よく農場を闊歩するユーモラスな後ろ姿は、そんな感傷などまるで不釣り合いだと笑っているように見えたけれど。
 
 

 次にTさんと私が農場を訪れた時、それから4年も経っていた。